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睿宗(えいそう)は、唐朝の第5代、第8代皇帝。高宗の第8子で、中宗の弟に当たる。 ==生涯== 684年、兄の中宗が母の武則天によって廃位されたことにより即位した。その即位は武則天の傀儡であり、政治的な実権は皆無であった。690年、武則天が自ら皇帝に即位すると廃位された。 705年、武則天が死去直前に中宗が復位し、李旦は安国相王に封じられる。710年にはその中宗が韋皇后により毒殺された後、韋后一派を三男の李隆基(玄宗)と協力して排除し、甥の李重茂(殤帝)を廃して再び帝位についた。712年、玄宗に譲位し、太上皇帝を称した。716年に55歳で崩御した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「睿宗 (唐)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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